大可島の波止

古代以来鞆港は、東側の大可島や西側の明神岬と南側の玉津島が波よけとなり、湾状の船溜まりであり、天然の良港となってました。
近世に入り周囲の埋め立てなどにより、砂の回流がなくなり、港の海底に土砂が堆積して浅くなったり、強 風により、船舶が損傷を受けたりして、波止場の必要を生じました。
始めに寛政3年(1791年)に大可島下から90m、淀姫神社下から36mの波止を造りました。
その後、文化7年から文政7年にかけて延長され、先端部分は明治18年に造られました。
なお、弘化4年(1848年)には、玉津島の波止が築造され、ほぼ今日の鞆港の姿となりました。
玉津島が別名「ねずみ島」と呼ばれたのは、この波止が造られたため、ねずみが尻尾を出した形に見えたからで す。

大可島の波止1

大可島の波止2

大可島の波止3


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