歴史の回廊

 「鞆之浦」の表記は、奈良時代の文献から見えます。鞆港の渡船場近くには、万葉の歌人「大伴旅人」が詠んだ歌碑があります。足利尊氏は九州から巻き返して鞆に上陸し、京に攻め上って南朝方を破り、室町幕府を起こしました。
 江戸時代、鞆港は北前船が北海道の昆布やニシンが運んできて、地場の畳表、船具、保命酒などを運び出す商業港として発展しました。
 福禅寺の対潮楼は朝鮮通信使一行が宿泊し、「日東第一形勝」と景観をほめたたえました。幕末、坂本龍馬が乗り込んだ「いろは丸」は鞆の浦沖に沈没し、その展示館があります。尊皇攘夷派の三条実美ら七人の公家が長州に落ちる際に寄った七卿落遺跡もあります。
 江戸期の五つの港湾施設がそろって残っているのは鞆の浦だけです。灯台の役割をした「常夜燈」、石を階段状に並べた船着き場の「雁木(がんぎ)」「波止場」、船の修理場「焚場(たでば)」、船の出入りを監視する「船番所」の五つ。「歴史の回廊」である鞆の浦は、瀬戸内海の貴重な都市遺跡なのです。


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