明圓寺
真宗大谷派



松江山明圓寺。
天文年間(1532〜1554年)に山田村に創建されたと伝えられる。その後、鞆の現在地に移転する。
室町末期(戦国時代)の石山合戦(1570〜1580年)では、明圓寺住職が毛利軍と共に織田信長と戦った。慶長16年(1611)の顕如上人画像が伝来している。
珍しく梵鐘も残り、この鐘は福山藩からの一部寄進で、藩との結びつきも強かった。
江戸時代を通して、朝鮮通信使の常宿でもあった。


山門と本堂
 

鐘楼
江戸前期の建物、後世に修理がされた。

梵鐘

寛永21年(1644)の作。
鞆奉行の荻野新右衛門が寄進(一部)していて、福山藩との係わりも深かったことが分かる。
鞆では、江戸時代末と昭和の金属供出をまぬがれた2つの梵鐘の内の一つであり、また江戸前期の作であり朝鮮鐘の形式もとり入れて貴重である。

顕如上人画像 
95.5cm×39.3cm
絹本著色


桃山風に、巧みな細い線で運筆を行い、人物の風貌をよくとらえた優作。
裏面の墨書により慶長16年(1611)の作と分かる。
顕如は、本願寺11世。

絹本著色 聖徳太子像 市重文
107cm×48cm

当時の彩色をよく残し、制作年代が寛永12年(1635)と判明する。



掲載資料は福山市鞆の浦歴史民俗資料館編集の 港町鞆の寺院 その3によります。

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