鞆七卿落遺跡 (ともひちきょうおちいせき)

広島県史跡 昭和15年(1940年)指定

太田家住宅・太田家住宅朝宗亭 国重要文化財 1991年指定

 世にいう「七卿落ち」とは文久三年(1863)の八月十八日に、日本全土に拡がる尊皇攘夷や開国論争の中で、長州を始めとする他の尊壤派と提携していた三条実美ら七人の公卿は、公武合体を主張する権勢に押された上に朝譴を蒙り、宮中に参内することも、他出することも、他人との面接も一切禁じられるという厳罰を受けた、いわば朝廷における一大事件であった。
 七卿とは、三条實美、東久世道禧、壬生基修、四条隆謌、錦小路頼徳、澤宣嘉の七人の公卿のことである。

 長州方の手引きにより、夜来の雨を衝いて京都を脱出し、八月二十二日午後四時頃兵庫を出航した。20数艘の船と、総勢四百余人のの大船団であった。
 二十三日夜戌の亥過ぎ(午後八時頃)都落ちした七卿は千石船の出入りする鞆の港に投錨、下船し上陸。保命酒屋で憩い、同夜半強風をおして出航し翌二十四日午後、糸崎八幡浦に避難した。
 その後、澤宣嘉、錦小路頼徳が亡くなり、再び京都を目指す五卿は、元治元年七月十八日鞆の港に着き、保命酒屋を再び訪れました。
 保命酒は焼酎製の漢方薬酒です。「保命酒屋」“太田家住宅”は屋敷地の東南部に母屋を配し、玄関には唐破風造の看板掛けを取り付け、屋根には杉玉掛けを設けていて造り酒屋の構えをよく残しています。
また本陣にも用いられた“朝宗亭”は本宅と道路をはさんで港に面しています。いずれも18世紀中頃から19世紀前期の建物群であり、歴史的町並みの中心となっています。

 明治初期の歌集『竹葉集』に、幕末に保命酒を歌った七卿の中の3人の歌が4首載っています。

世にならす鞆の港の竹の葉をかくて嘗むるもめつらしの世や
   實美

亀山に何か求めむこの屋戸のこの酒こそは生く薬なれ      李知

音にたつ鞆の港浪まくらふたたびかかるも時世なりけり     李知

この家にかみしうま酒うま人のみまへに世ただもてはやしつつ  道禧

 中でも三条實美の歌は保命酒をたたえる歌として世に有名です。

現在1995年から6年計画で建物の解体修理工事が行われており、完成後は一般公開される予定です。

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七卿落遺跡1
左側が“太田家住宅”、右側が“太田家住宅朝宗亭”


七卿落遺跡2 
玄関の唐破風造の看板掛けと、屋根の杉玉掛け。


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