円福寺
真言宗



南林山円福寺は、室町時代から釈迦堂といって、現在の沼名前神社南側にあったが、慶長年間末頃(1610年頃)に、大可島城跡(市指定史跡、南北朝時代、中国探題も置かれた)に円福寺と号して建立された。江戸時代は真言宗明王院末寺。
瀬戸の島々や四国が眺望できる景勝地にあり、各年度の朝鮮通信使の上官の常宿になっていた。江戸時代の漢詩会、歌会、句会の舞台にもなり、「文政十」(1827)年再建の松尾芭蕉の句碑もある。

本堂

海側から見た本堂
宝篋印塔
総高:467.5cm
「享保十五庚戌年」(1730年)に鞆の商人が建立した大きな石塔。
この塔には年紀のほか供養文言や、「海船」の安全を祈願する文言を刻んでいる。
また鞆港などの景観に見事に調和した塔である。宝珠・九輪など医王寺の塔と同じく、当時のものである。
鞆港上方の医王寺の宝篋印塔と競演しているように見える。
山号扁額
タテ78.0cm、ヨコ152.0cm
円福寺の山号{南林山」と大書し、「朝鮮国花菴書」と署名のある扁額である。
1711(正徳元)年の朝鮮通信使の写字官、花菴の書を木彫扁額にしたもの。



掲載資料は福山市鞆の浦歴史民俗資料館編集の 港町鞆の寺院 その1 真言宗寺院によります。

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