安国寺
(あんこくじ)
臨済宗


 瑞雲山安国寺。元々は、無本覚心(法燈国師)を開山として、1273年(文永十年)に釈迦堂(仏殿)を、翌年に阿弥陀三尊像を造立した『金宝寺』が、備後安国寺の前身である。鎌倉時代の優れた建物と仏像が、安国寺の長い歴史の重みを物語っています。
 その後、室町時代に「安国寺」と改める。その末期に同寺は衰退するが、毛利輝元、安国寺恵瓊(えけい)が、再興しました。しかし、政権交代により、再び衰退をし、江戸初期(寛文年間)に京都妙心寺末寺となり、塔頭九ヶ寺が輪番して維持した時代もあり、大正九年(1920年)に法堂(方丈)が焼失しました。
 その後、昭和に入り、釈迦堂が大修理され枯山水も整備されました。中世の歴史・文化を伝える全国的にみても多彩な文化遺産を有する古刹であります。
旧山門跡
かっては、大きな伽藍配置でした。
釈迦堂 (正面) 重要文化財
 鎌倉時代、文永十年(1273)に金宝寺の仏殿として建立されたと思われる。その翌年、この仏殿に阿弥陀三尊像(重文)が安置されました。その後、安国寺恵瓊などにより十六世紀末に、かなりの修理がなされましたが、鎌倉時代の禅宗様建築の特徴をよく残し、全国的にみて貴重な遺産であります。
 禅宗様は、鎌倉時代に、中国より禅宗僧により導入された新様式。釈迦堂もこの様式をよく備え、軒の反りが大きく雄大であり、各部材の組物の複雑な構成も美しい。特に堂内の大小の部材を巧みに組み合わせた天井周辺は圧巻であり、禅宗文化を堪能できます。
内部天井。

太い梁組や小さな部材を巧みに組み見事な構成美をなしており、美しい抽象彫刻を見るようです。
木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(重要文化財)
総高 313cm (光背)、本尊像高 170cm

 鎌倉時代。本像の像内墨書銘により、「文永11年」(1274)に勧進僧・寛覚、大檀那・平頼影、仏師・覚尊によって「金宝寺」(安国寺の前身)に造像されたことがわかります。
 中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が一つの大きな舟形光背を負う「一光三尊仏」で、通称は「善光寺仏」と呼ばれます。
 本来、善光寺仏は、ほとんどが金銅仏の一品(像高50cm程度)でありますが、本像は等身大の大きな木造仏の特異な作例であります。
 更に、他の善光寺仏にはほとんど見受けられない像内納入品が多様に存在します。
 同寺の釈迦堂(鎌倉時代)に安置された本像は、実に重厚壮大です。これだけの優れた鎌倉時代の仏像が、港町・鞆に存在するのは、おのずと鞆が重要な位置にあり、興盛したことを示しています。
木造法燈国師坐像 重文 像高 85.2cm

 確証のある国内最古の頂相彫刻(ちんそうちょうこく)で、また最古の寿像として著名です。
像内納入文書により建治元年(1275)の造立とわかります。
 法燈国師69歳の寿像で、清閑な法燈国師の人間性が伝わるようです。昭和12年(1937)の像修理の際に、五輪塔と2通の文書が像内から発見されました。



水晶五輪塔(小箱添)重文 高さ6.9cm

法燈国師の像内に収められていた精巧な水晶の舎利容器です。
下から2番目の球形の「水輪」には、舎利を入れるための空間があります。
地蔵堂

何度か修理しているが江戸前期の建物。
石造地蔵菩薩坐像 重要美術品(国指定)
総高 219cm 像高 120cm

 安国寺境内の地蔵堂に安置されています。
光背裏面に元徳2年(1330)の銘があり、県内の石仏在銘の3番目に古い貴重な鎌倉時代の作例。
当時の金宝寺の隆盛を示す一つでもあります。
法堂(方丈)跡 県史跡

法堂(方丈)跡には礎石が残る。この南側には枯山水の庭園があります。
当時は法堂よりこの枯山水を鑑賞できました。
枯山水

作庭年代は、十六世紀中頃と言われ、1599年に安国寺恵瓊が修築し、その時、蘇鉄を植えたと伝承されています。中世の枯山水は全国的にみても9ヶ所しかなく貴重な庭園の一つであります。
こうした枯山水は象徴化・抽象化した禅宗文化の表れで、室町時代禅宗寺院に広まり、「禅の庭」とも呼ばれています。
木造達磨大師尊像  総高 45cm

延宝六年(1678)の作。
像内の墨書により年代、作者等が分かります。

「爲本明智光信尼 寄附 施主中満勘右門
延宝六年 戌午 五月吉日
達磨大師之尊像
大佛師 坂上宮内法橋宗慶」

小品ながら優れた都仏師による精神性のこもった仏像となっている。寄進者は、鞆の商人中満(屋号)勘右門で、江戸前期の鞆の商人の経済力の豊かさもうかがえます。

水野多門は二代・福山藩主の水野勝俊(1598年〜1655年)の子。
勝俊は鞆に居住し、「鞆殿」と呼ばれました。その子・多門が夭折したため、子安観音堂や五輪塔を建立し供養しました。安国寺は、福山藩とも関係がありました。
子安観音堂

元々は禅照寺境内であったが、現在は安国寺の境内となっています。
現在の建物は、昭和の再建。
水野多門の五輪塔

寛永9年(1632)の銘がある大きなもの。
鞆の津塔 安国寺境内

総高 280cm  承応3年(1654)に鞆の「中満」の屋号を持つ豪商が建立した鞆独特の石塔。
同様な「鞆の津塔」は鞆に15基現存します。
雲版
タテ 47cm ヨコ 52cm 
貞亨2年(1685)。

禅宗の法具で、寝起き、食事や座禅の合図などの告知に打ちならしたものです。

掲載資料は福山市鞆の浦歴史民俗資料館編集の 港町鞆の寺院 その2 臨済宗寺院によります。

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